COLUMN

コラム的な

ニューノーマルとリアル

巷では「ニューノーマル」。

山口周さんは、古いにしろ新しいにしろ、ノーマライズすること自体がナンセンスと言っていたような。それは「ノーノーマル」で、個人それぞれに合った「ノーマル」を尊重できる世の中になれば良いな、と割と本気で考えている。

そのためのアクションが具体的に思いつけないので、きっと皆が悩み、もがいている。力技に感じる自粛期間。強制的なテレワーク、出勤制限。結局、考えるのが大変なので、とりあえず元に戻るのが楽なので、「気をつけて暮らしましょう」に終始するしかない。その場しのぎを批判し、その場しのぎをしている感じだ。

最前線と思っていたものも、もはや順応できないのだ、と思う。そういうモノ・コト・ヒトはこれからどんどん増える。自らをその状況に置がなければ、予測できない世界を生き抜くための感覚・直感は生まれない。

こうして生活様式だけでなく、働き方、ビジネスそのもの、もう何もかもにおいて価値観をアップデートしないと色々追いつけない、と感じてきて、3ヶ月が過ぎたところで、

僕はあらためて、再定義が必要と考える。今できなければ、アップデートの機会はもう訪れない。

アップデートの対象とは、デザインであり、働き方であり、暮らしであり、まちづくりであり、組織。全てである。これまでの僕たちのやり方は、クローズドなところに人を集め、刈り取る方式で、完全に「密密」だった。自ら発信し、繋がり、今まで、そしてこれからも疎である場所・事柄に対して、開かなければならない、と思う。

ここで備忘録として簡単に認めておきたい

・まちづくりは「集める」から「繋がる」へ

・住まいは「住む」から「生きる」へ

・商売は「売る」から「続ける」へ

・働く場所、組織は「集まる」から「象徴」へ

そして、

・デザインは「つくる」から「感じる」へ

今こそ、大化けしなければ。僕の大好きな、カルチャーを生み出さなければ。